WAGOMU-このブログについて-


WAGOMUというのは、「和」と「和む(なごむ)」から創った造語に、「輪ゴム」という括る対象によってその形状を柔軟に変化させることのできる図像の記号性を与えたものです。このブログは、2009年から「瞑想」というキーワードと向き合いながら広告会社でデザインをしている自分から生まれた造形に言語的アプローチで再解釈を与えることを目的に2015年の年頭にはじめました。
実家が、高野山真言宗という密教系の宗派のお寺であることから、美術大学の卒業製作のテーマとして「阿字観」という瞑想に出会いました。密教では阿字(大日如来を表すサンスクリット文字)と対峙しながら瞑想を行います。他の瞑想のスタイルにおいても、何か1つの対象や動作に意識を集中することで、瞑想を体得するものが多いのです。インターネット社会になり、SNSのタイムラインのようにどんどん流れていく情報が増え、多次元的に脳に取り込む情報の量が日々増えていくようになって久しい現代社会において、グラフィックが「瞑想」と同じような効果を人間の脳に与えることができるのではないか。それが私のコンセプトです。
しかし、このテーマを持ちながらデザインをする自分自身が日々の生活や仕事の中での大量の雑多な情報のインプットによって、1つの図像から受け取るインスピレーションの感度や、表現力が劣化しているのではないかという懸念が生まれました。そこで、図像に対しての感度を鈍らせないために、画材を制限したドローイングと、そこから見出した自分自身の思考の軌跡をブログという形で残すことにしました。ブログを書きついでに瞑想しようというわけです。日によっては更新できない日もあるでしょうが、基本的に1日1投稿を目標に続けていきたいと思っています。2015.01.03

2015/06/20

炭酸飲料 / A CARBONATED DRINK



大小さまざまなドットを、
下から上に立ち上るような感じで描いていると
炭酸飲料の泡のように見えてきた。

炭酸水は、その名の通り炭酸ガスを含む水のことだが、
ノンアルコールの清涼飲料水では、
コーラやサイダーといったものがあるが、
これらの飲み物は、何故か子供の頃に飲んでいると
大人から骨が溶けるとか歯が溶けるとか、
よく言われたことを覚えている。
過度な糖分摂取の原因となるような甘い清涼飲料水の場合、
子供の脳の成長に悪影響があるという側面は無視できないが、
あの炭酸でカルシウムが溶けるという説は何だったのだろうか。
最近ではハイボールなどのお酒のソーダ割りが流行っていることで
大人の我々も飲む機会が非常に増えている炭酸水。
子供の頃は当然お酒も飲めないので、
炭酸があんまりいいものではないというイメージを
清涼飲料水から持っていたのだが、
炭酸水がお酒とコラボレーションするようになった瞬間、
そんな炭酸水のネガティブなイメージはどこかに消えてしまった。
実際、炭酸水自体には直接健康への害は
全くと言っていいほどないようだ。
シャンパンを「泡」と呼ぶくらい、
お酒を飲む大人にとっての炭酸は、
泡と一緒に気分も高揚させてくれる、
魔法のつぶつぶのような記号性がある。

一言で炭酸の泡と言ってもいろいろで、
キメの細かいクリーミーな泡、シュワシュワの強い炭酸の泡、
シャンパンのようにグラスの細工から生まれる魅惑の泡。
気づくと私はとっくに炭酸ファン、なのかもしれない。
2015.06.20








2015/06/19

白衣装 / WHITE WEAR



楕円形の上に高さのある四角を描くと、
ハットの中でも燕尾服などの正装時に
着用されることの多いシルクハットのような形になった。
大抵黒が多いシルクハットでだが、これは白い。

白の帽子というのは日常的に着こなすのがなかなか難しいと
思われてか、黒いものに比べて目にする機会が少ない。
白馬の王子様や、怪盗キッド(名探偵コナン出演)の格好は、
白のシルクハットにマントに正装という、
ある意味この上なく理想化されたものである。
帽子なしであれば、結婚式で新郎が着ていることも時々ある。
白い衣装というのは、どこか特別な扱いをされることが何故か多い。
日本でも、白装束と呼ばれる衣装があり、
神事において神主や巫女、修験者が身につける全身白ずくめの
浴衣のような衣装のことである。
また、死者に着せる衣装は基本的に白であり、
死装束、経帷子と呼ばれるものがある。
今でこそ黒が主流になった喪服も、日本では古くは
白喪服が主流だったと言われているようだ。
白は穢れのない色として、未亡人が身につけた場合に
再婚はしない意思を表明するものだという。
かつての日本の女性は、婚礼で着用した白無垢を
ずっと保管しておいて、愛する連れ合いがこの世を去った際に
袖を詰めてそのまま喪服にしたというのには驚かされた。
現在の黒い喪服が主流になったきっかけには、
どうやら少し黒い歴史が影響しているようだ。

理想化された白、神格化された白、意思表明としての白
といったように、日本人は白という色に、色の代わりに
様々な意味付けを施して身に着けてきたのだろう。
白という色のもつ記号は、無であり無限と言えるのかもしれない。
そう考えると、白い正装を着こなすことは、
そうそう簡単ではない気もしてくる。
2015.06.19






2015/06/18

靴下伝説 / LEGEND OF SOCKS



途中で斜めに折れ曲がった太い線は、
靴下のシルエットのように見えた。
靴下といえばクリスマス?ということで
背景に赤と緑の縞模様を敷き詰めてみた。

そもそも何故クリスマスの時に
プレゼントをもらうために靴下を用意するのかなど、
考えたことがなかったが、以外と常識だったりするのだろうか?
ちょっと温度感を確認したかったりもする。
おそらく、キリスト教の国では言い伝えとして
ある程度有名な話なのだとは思う。
サンタクロースの元になったキリスト教の司教の聖ニコラウスが、
街に住む貧しくて嫁に行けない3姉妹を見兼ねて、
真夜中に煙突から金貨を投げ込むと、
偶然にも暖炉のところに干してあった
靴下の中に見事に入ったのだという。
もちろん、その娘たちはそのお陰で、嫁に行くことができたという。
この話が元になり、サンタクロース(セント・ニコラウス)
からのプレゼントは靴下を用意して待つ習慣ができたのだ。
非常に単純な話だが、とても納得させられてしまった。
サンタクロースが姿を見せないのは、
キリスト教の精神で、
いいことをしても言いふらしたり見返りを求めてはいけない。
という教えがあるからのようだ。

日本人の宗教観はとても柔軟な点がいいところでもあるが、
クリスマスなど、他宗教の催事を特に深く考ずに
慣習として実行しているところは、他宗教の人から見ると
不思議に思われていることを自覚だけはしておいたほうが
いいのかもしれない。
2015.06.18



2015/06/17

肉球 / PAD



大きな丸が1つと小さい丸が4つ。
それは、犬猫の脚の裏にある肉球を想起させた。

私は肉球ファンではないので、
なんとなくこれで肉球と思えなくないが、
肉球ファンからすると、何だコレ、肉球の
形とちがうよと突っ込みたくなるのではないか。
そもそも真ん中にある掌球と呼ばれる部位の形が
こんなに単純な丸ではないし、
犬猫だって指は5本あって、1本だけ下の方に
もう1つ肉球があると思われるだろう。
それはさておき、僕が気になっているのは
肉球の英語名称である。
肉球は英語でPADと呼ぶらしいが、
その見た目と呼称の記号性が非常に頭の中で
気持ちよく一致したのは何故だろうと考えた。
おそらく、AppleのiPadというデバイズが
我々に与えるユーザーエクスペリエンスとどこか
近いからではないかと思った。
実際は、A NOTE PAD(メモ帳)のような意味合いで
自由に情報を書き記すようなツールという意味合いが
あると思うが、PAD(肉球)の方が身体感覚に
近い気がするのである。

スマホやタブレットのUXに慣れるということは、
指の腹の触感でデバイスを操作する感覚に慣れることであり、
我々の肉球の感覚が鍛えられているとも
考えられるのかもしれない。
2015.06.17

2015/06/16

白下着 / TIGHTY-WHITES



T字型の白いシルエットは、
男性用の下着の代表格のブリーフパンツのようだった。

下着の名称について、少し思うことがある。
英語でパンツと言ったら、所謂スボンを意味する。
ファッション用語では、そちらの使い方のほうが
圧倒的に馴染みがある気がする。
しかし、我々が子供のころから慣れ親しんだパンツは、
真っ白なブリーフだったり、「パンツ丸見え!」のパンツである。
いったいどこでこの歪みが生じたかは
定かではないが、ある時期を境に、
パンツの世界は驚くほど広いことを目の当たりにするのである。
いままでパンツだと思っていたものは、
パンツの中のほんの一部の、ブリーフパンツだったことを知り、
パンストやパンティー、ショーツやトランクスなど、
パンツの親戚なのか何なのか分からないが、
下着という世界にはいろいろあるということを知っていく。
我々は便利な外来語によって、
無意識のうちに意味の範囲をものすごく
狭めてしまっていることがあるのかもしれない。

真っ白なパンツにどうしてここまで考えさせられるのだろう。
もしかすると、パンツは我々の意識の中で、
下着(下半身に身につけるもの)のシニフィエをすべて受け止めた
原型となっているのかもしれない。
2015.06.16





2015/06/15

餃子袋 / GYOZA DUMPLING BAG



中に何かが入って膨らんでいるような
扇型っぽい形は、丸い皮に具材を包んで丸めた
餃子のシルエットに見えてきた。

餃子は手作りすると、生の皮で具材を器用に包み、
手で丁寧に形を作るなかなか手間のかかる食べ物である。
丸だったり包むだったり、何かおおらかな形の記号性を
持っていると思い少し調べてみると、
中国ではかなりの縁起物であることを知った。
中国のお金の形に似ていることから、金運アップの
縁起物として食べられたり、
餃子の漢字を分解すると「食+交+子」になることから、
新婚の夫婦が子宝に恵まれるように、結婚の祝宴の卓には
餃子が並べられるようだ。
縁起担ぎの食べ物なので、食べた個数を数えずに
食べられるだけ食べるというのが、マナーというのにも驚いた。
また、我々に馴染み深い焼き餃子よりも、
中国では水餃子が主に食べられているらしい。
うっかり中国の人に焼き餃子をお勧めすると、
水餃子を焼いた残り物と勘違いされる可能性もあるという。

餃子のことを中国の飲茶文化の点心のひとつ
くらいにしか思っていなかった私は、
餃子の偉大さに大目玉を食らわされてしまった。
2015.06.15




2015/06/14

灸陵 / MOXIBUSTION HILL



柔らかい角の三角形を描くと、
経穴(ツボ)に艾を盛って火をつけて行う
お灸の盛り上がりに見えてきた。

お灸の起源は古代中国に遡り、
東洋医学的な発想で行われる民間療法である。
日本では、医師以外がお灸を行う際は灸師免許が必要で
ある特定の技術を持って行うべきもののようだ。
私は昔からお灸が怖くて試したことがない。
ただでさえ熱そうなのに、
その熱を経穴(ツボ)に集中的に与えるのだから、
想像するとちょっと遠慮させて頂きたいと思っている。
子供などを強くしかる意味の言葉として「灸を据える」と言ったり、
お仕置きや制裁の隠喩として「お灸」が使われるのは、
まさに灸がなかなか応える仕打ちであると私に妄想させる
要因のひとつなのかもしれない。
お灸は医療的に完全に証明されていないが、
身体の敏感な部位に熱のによる刺激を小刻みに与えることで
自律神経系を活性化して免疫機能の回復が見込まれるそうだ。
そんなお灸の本質というのは何なのだろう。
それはおそらく私が感じている拒否反応なのではないかと思う。
「アチッ!」という熱に対する反射神経が、全身の感覚器官を
活性化させていくようなイメージだろう。
そう考えると、肉体的にも精神的にも疲弊して、
身体感覚が鈍化している状態に対して非常に効果がありそうな気がしてくる。

生身の肌の丘の上に、艾を持って線香で火をつける。
その瞬間の緊張感と恐怖感に私が打ち勝てる日は
そのうちやってくるのだろうか。
2015.06.14