WAGOMU-このブログについて-


WAGOMUというのは、「和」と「和む(なごむ)」から創った造語に、「輪ゴム」という括る対象によってその形状を柔軟に変化させることのできる図像の記号性を与えたものです。このブログは、2009年から「瞑想」というキーワードと向き合いながら広告会社でデザインをしている自分から生まれた造形に言語的アプローチで再解釈を与えることを目的に2015年の年頭にはじめました。
実家が、高野山真言宗という密教系の宗派のお寺であることから、美術大学の卒業製作のテーマとして「阿字観」という瞑想に出会いました。密教では阿字(大日如来を表すサンスクリット文字)と対峙しながら瞑想を行います。他の瞑想のスタイルにおいても、何か1つの対象や動作に意識を集中することで、瞑想を体得するものが多いのです。インターネット社会になり、SNSのタイムラインのようにどんどん流れていく情報が増え、多次元的に脳に取り込む情報の量が日々増えていくようになって久しい現代社会において、グラフィックが「瞑想」と同じような効果を人間の脳に与えることができるのではないか。それが私のコンセプトです。
しかし、このテーマを持ちながらデザインをする自分自身が日々の生活や仕事の中での大量の雑多な情報のインプットによって、1つの図像から受け取るインスピレーションの感度や、表現力が劣化しているのではないかという懸念が生まれました。そこで、図像に対しての感度を鈍らせないために、画材を制限したドローイングと、そこから見出した自分自身の思考の軌跡をブログという形で残すことにしました。ブログを書きついでに瞑想しようというわけです。日によっては更新できない日もあるでしょうが、基本的に1日1投稿を目標に続けていきたいと思っています。2015.01.03

2015/02/14

風神 / WIND GOD



勢いまかせに引かれた5本の線の塊だが、
先端のシルエットが人の横顔にも見えなくもない。
具体的ではないのだが、風や勢いを感じるこの図像を
風神に見立ててみることにした。
より風を巻き起こしている感を出すために、
背景にはシルエットにクロスする角度でストライプを配した。

風神は、世界中の神話に出てくる神だが、
日本では、イザナギとイザナミの間に生まれた級長津彦命(シナツヒコノミコト)が
風の神に当たると古事記や日本書紀に記されている。
神様として祀られる他にも、妖怪として空気の流動が農作物や漁業に影響を与えたり、
人間の体内に入って風邪の元になるなどと恐れられていた。
絵画の中では、俵屋宗達の風神雷神図屏風のように、
風の入った袋を持っているふうに描かれることが多い。
また、ギリシア神話では東西南北の風の神をまとめて
ANEMOI(アネモイ:古代ギリシア語)と呼ばれ、それぞれが
季節や天候に関連付けられていたという。
表現のされ方も日本とは違い、
あるときは一陣の突風として表現され、またあるときは
翼の生えた人間として擬人化されるという。

どちらに関しても言えるのは、風が我々に与える影響は大きく、
神格化されるほどのものであったということだ。
近年の異常気象は、エルニーニョ現象によって引き起こされた
偏西風の蛇行が原因であるという説があるが、
偏西風はおそらく地球最大規模の風の流れであり
地球上で生きる我々に確実に大きな影響を与えている存在だ。
それは、風神と呼ぶのにふさわしいものかもしれない。
2015.02.14

2015/02/13

家鴨飛 / DUCK FLYING



低重心な鳥のようなシルエットは、
水に浮かぶ水鳥の中では、いちばん家鴨(アヒル)に近い気がした。
かなりの勢いで水掻きのある足をばたつかせて、
水を上を掻き進んでいるかのようにも見えたので、
水面の境界で色を2つに分けてみることにした。
水鳥にはかなりの種類がいるが、
遠かれ少なかれこんなような低重心で首の長いフォルムをしている。
浮きやすく、水中の魚を捕獲しやすいためにそうなったのだろうと思う。
フラミンゴのように足が極端に長いものもいるが、
それは陸地寄りに生息するようになったからではないか。

水鳥の中には渡り性水鳥といって、
繁殖の時期に生活する場所を変える、いわゆる渡り鳥もいる。
その時はこのずんぐりむっくりな体で羽を羽ばたかせ、
シベリアなどの地域へ移住していく。
彼らは、ものすごい長距離を方向を間違えることなく
目的地までたどり着くことができる。
昼間に渡りをする鳥は太陽を、
夜に渡りをする鳥は北極星とその周りの星座を手掛かりに
進む方向を決めているというのだから驚きである。
それだけではなく、彼らは自らの飛行データをもとに、
地形なども記憶し地図データを記録するとも言われている。

ちなみに話を戻すと、家鴨はその独自の能力を
人間が家畜にすることによって奪われた存在である。
その字のとおり、家畜用の鴨なのである。
マガモという種類は飛ぶことができるのに、
家鴨はほぼ飛べないというのは、なかなか考えさせられる話だと思う。
2015.02.13




2015/02/12

甲虫類 / BEETLES



コロッとしたフォルムにT字型の亀裂が入っている。
それは、カブトムシやてんとう虫などのいわゆる甲虫類のようだ。
甲虫類は幼虫の時はイモムシのようなブヨブヨとしたシルエットだったものが、
完全変態の過程で蛹を経ることで硬い外骨格に守られた形に変容する。
その進化の過程は、ドラゴンボールのセルのようにまったく以前の形態の
名残を残さない面白いものである。
また、彼らの一生は樹木と近い所にあり、
樹液を吸って生きるものが多いように思う。

甲虫という言葉を英訳するとどうなるのかと思い、
調べてみるとどうやらBEETLEというらしい。
てっきり僕はBEETLEはカブトムシのことだと思っていた。
BEETLEといえばフォルクスワーゲンの定番モデルだが、
まさにあれは甲虫類の形をモチーフにしたデザインだったのだ。
勝手にカブトムシなのになんでツノがないのと思っていた自分が恥ずかしい。
よくよく考えればカブトムシを漢字にすると甲虫だった。
話は変わるが、BEETLEの広告表現は
今でもお手本にされるほどの、ミニマル表現の極みである。
有名な'Lemon.'や'Think small.'のキャッチフレーズなどは、
見るものの想像力を掻き立てる表現のお手本である。
車自体のフォルムやレイアウトの余白によって魅せる表現の原点とも言える。
その表現が生まれた背景には、甲虫という自然界の生き物に立ち返って
開発された車のデザインが持つ、強い思想があったのではないかと思う。
2015.02.12





2015/02/11

半月刀 / SHAMSHIR



ゆるやかに彎曲した、刀のようなシルエットに、
その切れ味でパックリ半月型に割れた図形を配してみた。
半月切りという野菜の切り方や、
半月刀という名称があるように、刀と半月は
記号として相性のいい関係にある。
また、半月刀と呼ばれる刀も存在していて、
それはペルシア語でSHAMSHIRというらしい。
わずかに湾曲した刀の総称として呼ばれるようだが、
勝手なイメージだが、語感がなんだかエキゾチックで
月というシンボリックな存在と相性がいい気がした。

月というのは、太陽暦にのっとて生活をする我々にとって
切っても切れない関係である。
暦の1月や2月、一月、半月と時間を表す単位としても
当たり前に使っているが元々は月の満ち欠けから
計算していたと思うと、なかなか無視できない。
そして月は、宗教的なシンボルとしての役割を果たすことも多く、
イスラム教国の国旗のモチーフとして使用されている。
イスラム圏では、赤新月が赤十字の意味をもつという。
密教系の仏教においても、両界曼荼羅というものがあり、
金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅のうち、金剛界曼荼羅には
白い円が幾何学模様の様に配置されていて、
それぞれが知恵を象徴する満月輪である。
もっと古くは世界の古代文明において、
地上のあらゆる生命を育む大地母神、豊饒の源として崇拝されていたという。
調べてみると、割とどの宗教も月神信仰の傾向があった時代が、
少なからずあったことがわかる。
日本人の信仰心が希薄になって久しい日本だが、
身近なところにある強い記号の由来を遡ってみると、
信仰というもの本来の姿であったり、
知らなかった事実や新しい発見が眠っているのだろう。
2015.02.11


2015/02/10

烏賊踊 / CALAMARI DANCE



くねくねしたそのフォルムは芯がない代わりに、
柔軟にその姿形を変えることができそうだ。
手なのか足なのか分からない
軟体動物の一部のようにも見えたので、
烏賊の手ということにして吸盤をプチプチつけてみると
なかなか相性がよく、
機嫌よく踊っているようにも見えてきた。
我々がよく食べる烏賊下足の踊りである。

烏賊について少し調べてみたが、
下足は、烏賊の足ではなく触腕と呼ばれる腕らしい。
そして烏賊の容姿に天地があるとすると
触腕が天で、我々がだいたい頭だと思っている
三角形の部分が地になるという。
逆さまにしか見えないが、そうらしいのだ。
さらに極めつけに驚いたのは、
彼らが貝殻のある貝類が退化した生き物だということだ。
甲烏賊というのがいるが、
確かに言われてみればという気はする。
寿司を食べる時に、貝と烏賊が兄弟だと
考えたことなんてなかったが、
今度寿司に関して話す時の新しいネタになりそうだ。
2015.02.10

2015/02/09

わたあめ / COTTON CANDY



ふわふわで捉えどころがない形。
この形には型というものがなく、
生まれてくるたびに違う形をしていそうだ。
それは、子供の頃お祭りで胸をときめかせていた
「わたあめ」のかたちだった。
迷わず割り箸のような棒を、そのふっくらとした形に刺してしまった。

デザインにおけるアフォーダンスという概念は、
モノに備わっている、ヒトが知覚できる「行為の可能性」である。
プロダクトの場合、モノの形態自体が、
それを使う者に対して訴えかけてくる用途や行為の示唆である。
わたあめのような形態は、捉えどころがないがゆえに、
やわらかそうで触ってみたかったり、
雲を食べるという夢を叶えてみたくなったりと、
いくつものアフォーダンスを含んでいるのではないか。
おそらく、棒をプスッと刺したいというのも、
我々がお祭りで見たわたあめの体験と記憶から発生するものだろう。
ただ、調べていて知ったことなのだが、
このデザインにおいて運用されるアフォーダンスは、
アメリカの知覚心理学者のジェームス・J・ギブソンが提唱した
本来のアフォーダンスとは意味が異なっているらしい。
その本来の意味とは、
「動物と物の間に存在する行為についての関係性そのもの」であるという。
とすると、デザインの文脈でアフォーダンスを用いることは
本来間違っているということになるのか。
本来の意味と、後に再定義された意味との間には隔たりが生まれてくることが
しばしばある。辿ってみないと以外とそこには思いが至らないが、
物事を記号的な解釈をしていく上では、
知っておいたいいことがいくつもありそうである。
2015.02.09




2015/02/08

御田 / ODEN



厚みを感じる三角形が2つ。
ふわふわした感じの質感のそれは、おでんの具材に欠かせない
はんぺんに見えてきた。
そこに、同じ形だが比較的エッジのある感じの質感の
こんにゃくのようなグレーの三角を合わせてみた。
この2つの三角形にはやはり醤油ベースの出汁の色が合う。

御田はもともと江戸時代にとうふに味噌を塗った豆腐田楽という焼き物だったものが、
いつからかいろんな食材を出汁で煮込むものになったそうだ。
関西ではいまだに御田は焼き田楽を指すことが多い。
英語でも、御田を指す単語というものは存在せず、結構具材1つ1つを説明するような
長ったらしい名称になってしまうようだ。
完全に日本独自の発展を遂げたODENなのである。

また、おでんを単純な図形で表そうとすると、
丸、三角、四角のシンプルな図形で表すことが多い。
もともと出処はまったく違うものだったのに、
現在の姿が記号としてここまで定着しているものもはめずらしく、
またそれが日本独自の食べものであることは、
外国人からするととても興味深いものなのではないかと思う。
それは、日本にしか分からない暗号のような記号に見えるのかもしれない。
2015.02.08