ヒョロッとした線の先に楕円形の頭がついた
おたまじゃくしのような形を描くと、
豆靄(まめもやし)の発芽のようにも見えてきた。
豆靄は、もとも種を人工的に発芽させたものの、
豆と茎の部分を食用にしたものだが、
その語源は「萌やす」が名詞形になったものだという。
「萌やす」の使い方は、若い芽が萌え出て
ぐんぐん成長するといった塩梅らしい。
また、「萌える」という言葉があるが、
最近ではアイドルやアニメのキャラクターに
特筆した好意を抱く時に使うこの言葉も、
辿るともやしと同じ語彙から発生していることがわかる。
「萌える」は、心の中に恋の芽が萌ゆることであり、
もやしの成長と同じように、
生命力の周辺の意味合いを持ち合わせているのかもしれない。
ただ、もやしっ子という表現だけは、
なぜかこの言葉の持つ本来の意味合いとは裏腹に
生命力のないなよっとした意味合いで
使われるようになってしまっている。
もやしっ子は、一体どこで萌えない存在になってしまったのだろう。
おそらくだが、豆靄そのものの見た目の記号性が
言葉本来の持つ意味合いと逆の、
ヒョロヒョロで頼りない記号性を持っているからではないか。
本来ならば、萌やしっ子と呼ばれ、
至る所に恋を芽生えさせるエキセントリックな奴になっていても
決しておかしくはないのである。
本来言葉の持つ意味と、そのものの容姿が持つ記号性が
反対関係になっていることが稀にあるが、
その時はもやしっ子のようなはぐれものがいないか
探してみるのも面白いのかもしれない。
2015.05.30