白い四角い塊と、細かい粉末は、
鉛筆で描いた黒を消すための消護謨と粕になった。
人類の歴史において、
描いた文字や絵を消す道具は以外と
ヴァリエーションが少ない。
パソコンが主流になってからは、
ボタン1つで消せるようになったが、
紙に描いたものを消すための道具は
消護謨以外に思い当たらないのではないか。
消護謨の前身はパンである。
今でも木炭の素描をパンで消したりすることはあるが、
それ以外で使用していたら、
食べ物を粗末にするなと怒られてしまいそうである。
パンの時代も消護謨の時代も解決できていない重大な問題がある。
そう、彼らは身を削って対象を消すのだ。
消せば消すほどその身は小さくなり、ゴミがでる。
なんだか、消すことで描くことの責任を取っている
ような感覚にもなってくる。
最近ではPILOTが開発した消せるボールペンが出現し、
描き消しの行為が新しい次元に突入したともいえる。
しかし、消せるインキにも粕は出ないが盲点があった。
マイナス20℃まで温度が下がると消した字の色が復活するという。
摩擦熱で色素が消える素材は開発できたが、
極端に温度が下がると、姿を消していた色素が蘇ってくるのだ。
そうなると、どんなに技術か発展しても、
物理的に描くという行為は完全に消去することが難しく、
残すという意味で非常に有効なことであると思える。
2015.04.25
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