WAGOMU-このブログについて-


WAGOMUというのは、「和」と「和む(なごむ)」から創った造語に、「輪ゴム」という括る対象によってその形状を柔軟に変化させることのできる図像の記号性を与えたものです。このブログは、2009年から「瞑想」というキーワードと向き合いながら広告会社でデザインをしている自分から生まれた造形に言語的アプローチで再解釈を与えることを目的に2015年の年頭にはじめました。
実家が、高野山真言宗という密教系の宗派のお寺であることから、美術大学の卒業製作のテーマとして「阿字観」という瞑想に出会いました。密教では阿字(大日如来を表すサンスクリット文字)と対峙しながら瞑想を行います。他の瞑想のスタイルにおいても、何か1つの対象や動作に意識を集中することで、瞑想を体得するものが多いのです。インターネット社会になり、SNSのタイムラインのようにどんどん流れていく情報が増え、多次元的に脳に取り込む情報の量が日々増えていくようになって久しい現代社会において、グラフィックが「瞑想」と同じような効果を人間の脳に与えることができるのではないか。それが私のコンセプトです。
しかし、このテーマを持ちながらデザインをする自分自身が日々の生活や仕事の中での大量の雑多な情報のインプットによって、1つの図像から受け取るインスピレーションの感度や、表現力が劣化しているのではないかという懸念が生まれました。そこで、図像に対しての感度を鈍らせないために、画材を制限したドローイングと、そこから見出した自分自身の思考の軌跡をブログという形で残すことにしました。ブログを書きついでに瞑想しようというわけです。日によっては更新できない日もあるでしょうが、基本的に1日1投稿を目標に続けていきたいと思っています。2015.01.03

2015/06/06

囲炉裏鍋 / HEARTH POT



半月型の図形に、半月型の輪郭。
それは日本の伝統的な家屋の中心にあった
囲炉裏に吊るされる鍋のようだった。

囲炉裏は、薪や炭火などで火を熾すために
床を四角く切って灰を敷き詰めたものである。
その用途は多岐にわたり、
暖を取るため、調理のため、照明として、
室内の乾燥のため、火種として、また、
木造建築ならではのことであるが、
囲炉裏で火を焚くことによって、
暖かい空気が充満して家屋の木材の水分が飛び
腐食しづらくなったりもするようだ。
また、煙に含まれるタールが茅葺屋根や藁屋根の
防虫性や防水性を高めるという。
もう1つの忘れてはならない役割が、
家族の団欒の中心的役割を果たしていたことである。
現代の生活スタイルでは、西欧流にテーブルを囲んだり、
食卓とは別にリビングという空間がある。
キッチンは完全に別の場所になるため、火を囲むという
スタイルが完全になくなったのが最も大きな変化だろう。
日本独自の炬燵だけは、少し囲炉裏のスタイルを
受け継いでいる部分があるのかもしれない。

木造建築だからこそ生まれてきた生活スタイルと
それを維持するための工夫の数々は非常に興味深く、
おそらく我々日本人のDNAに原風景の記憶として埋め込まれていると考えられる。
現在でも、焚き火を囲んだり、鍋を囲んでつつくことを
時々やりたくなってしまうのは、そんなDNAの仕業なのだろうか。
2015.06.06




2015/06/05

仙人掌花 / CACTUS FLOWER



規則性のない有機的な線を描いた。
途中で二股に分かれたそのシルエットは、
砂漠にで生きる仙人掌のように見えたので、
その天辺に花を咲かせてみた。

仙人掌はとても沢山の種類がある植物である。
形も色もぜんぜん違う品種のものがここまである植物も珍しいかもしれない。
サボテンという名称は、19世紀後半に南蛮人が日本に
はじめて持ち込んだ際に、さぼてんの樹液で石鹸(シャボン)として
使っていたことから、石鹸体(さぼんてい)と呼ばれるように
なったという説が有力らしい。
ただ、石鹸体ではどんな植物か見当もつかなかったことから、
仙人掌や覇王樹といった当て字がされるようになったという。
また、サボテンといえば棘であるが、
個人的にはその無愛想な姿からは想像もできない
色鮮やかな花を咲かせる姿が最も印象的だと思う。
花の咲く時期は品種によってすべて異なり、
時系列に並べると、1年中サボテンの花は咲いているということになる。
鉢で栽培する場合でも、ある樹齢に達して、
適当な日光と水を与えていれば必ず花が咲くようだ。
そんなサボテンを、何も考えずにじっと見ていると、
茎や花の表情がどれを取っても非常にグラフィカルで
幾何学構成を見ているかのような感覚になるのである。

ガリレオ・ガリレイの有名な言葉に、
「自然という書物は、数学の言葉で書かれている。」というものがある。
まさに、サボテンのテクスチャーや、花の配置や色彩は
意図的にできるものではない、自然の中の幾何学が見せる
興味深いグラフィックパターンなのかもしれない。
2015.06.05




2015/06/04

縫傷 / SCAR STITCH



一定のピッチで交差する線は、
きれいに身を食べ尽くされた魚の背骨のようでもあり、
傷口を縫合した跡にも見えてきた。

傷跡というのは、見ているだけで痛みや恐怖を感じさせる。
昔、指先をカッターでスパッと切ったことがあるが、
その傷跡はきれいに残り、いまでもそれを見ると
何となく傷口がうずいているような感覚になる。
傷には、怪我によってできた傷跡もあれば、
手術の切開によってできた傷跡もある。
どちらにしても、皮膚を切り裂く程のダメージを
元通りの状態に復帰するのは、
人間の細胞分裂による回復では限界があるのかもしれない。
知らなかったのだが、傷跡を残さないようにするには
負傷してから6時間の間の処置が重要なようだ。
流水で洗い流し傷口の異物を取り除き、
傷口を乾燥させないようにしておくのがいいという。
さらに、消毒をしないほうが傷跡が残りにくいという説もあり、
細胞をなるべく潤った状態で傷つけないでおくのがポイントのようだ。
傷の状態がひどい場合は、それこそ6時間以内に
医師の治療を受けるようにしたほうが良さそうだ。

傷跡は、別の見方をすれば身体に刻まれたその人の
戦いの証であり歴史でもある。
当然本人にしてみればその傷跡は、消せるなら消したいものかもしれないが、
他の人にはないそのアイデンティティーは、
ひょっとするとその人の魅力に変わることもあるのだろう。
2015.06.04







2015/06/03

砂糖天麩羅 / DOUGHNUT



真ん中に穴の空いたまあるい輪っかを描いた。
チョコをたっぷりかけると、
それはドーナツのようになった。

ドーナツを漢字表記にすると、
完全な当て字で砂糖天麩羅である。笑ってしまった。
ちなみに、なぜドーナツという名称なのかも気になり
調べてみると、小麦粉に、水、砂糖、バター、卵などを混ぜた生地を
油で揚げたものがドーナツだが、DOUGH(ドウ)は生地という意味で、
NUTS(ナッツ)はそのまま木の実という意味のようだ。
生地で作った木の実というのが元の意味と考えると、
原型はリングドーナツではなく、丸い塊だったことがわかる。
17世紀にオランダで、揚げたドーナツにナッツを乗せた
お菓子があり、それがドーナツの原型と言われているそうだ。
我々の中のイメージではアメリカのお菓子だが、
オランダ発祥で後からアメリカに伝わったものらしい。
その後家庭で作られるようになった際に、
火の通りを良くするために真ん中に穴を空けるようになったというのだ。
アメリカではドーナツを朝食にするという習慣もあるようだが、
日本人の味覚にとっては、砂糖天麩羅を朝食にするのは
ちょっとヘビーなのかもしれない。
日本では最初は戦時中の軍隊の間食用だったらしく、
高カロリーな非常食というか、
いまのスイーツとしてのPOPなイメージはそこにはなかった。
そんな砂糖天麩羅の世界観に、
スイーツとしてのPOPてファンシーなイメージを運んできたのが、
アメリカのドーナツチェーン店だったのだろう。

沖縄にサータアンダギーという砂糖天麩羅世界観の名残りのようなお菓子があるが、
ひょっとすると、米軍文化を一番強く受けざるを得なかった場所だからこそ、
その反動で日本独自のドーナツのあり方がそのまま残っているのかもしれない。
2015.06.03








2015/06/02

顔壺 / RUBIN FACE



うねうねした2本の線を、左右対称に配すると
向かい合う人の横顔のように見え、
有名なルビンの壺の構図に見えてきたので、目を入れてみた。

ルビンの壺は、
人の感覚や知覚、記憶といった情報処理過程を
解明する認知心理学的な分野で、
図と地の分化の説に説得力を与えた図像である。
ある図の周囲を地と考え、その2つを分けて認識して
はじめて図形を認識でき、
一方が図として認識されると、一方は
地としてしか認識されなくなるという。
我々の視覚の情報処理過程に自然に備わった
認知の法則を、ある図形をサンプルにして
見事に解明したのである。
この現象は、ものの輪郭をある境界として
はっきりと認識できた場合にのみ起きる。
逆に言えば、境界線のない曖昧な世界においては
起こらない、非常にグラフィック的世界の話である。

図形が強く意識に働きかける影響を利用し、
認知のメカニズムを逆算して表現する場合
やはりグラフィック表現というのは
最も有効に働くのだろう。
2015.06.02



2015/06/01

金剛石指輪 / DIAMOND RING



下が窄まった五角形のシルエットは、
婚約指輪の上などに鎮座している
ダイヤモンドのように見えてきたので、
リングを書き足してみた。

ダイヤモンドは炭素の同素体で、
現存する物質の中で最も硬い物質である。
その名前の由来も、ギリシア語のadamas
(征服し得ない・屈しない)の意味にあるようだ。
グラファイトと同じ元素からなるが、
原子の配列や結合様式が違うということのようだ。
片や真っ黒、片や透明で輝きがあるものの
元素が同じというのは、非常に不思議な感覚である。
言わずもがなだが、その希少価値は高く、
貴重なもの、高価なもの、お金になるものの
比喩としてもよく使われる。
黒いダイヤといえば、石炭やトリュフのことを言い、
山のダイヤといえば松茸のことを言うようだ。
そのものの容姿としての記号性ではなく、
金銭的価値や希少価値としての記号性を
比喩にしているところがなかなか面白い。

「結晶」と「象徴」という言葉は、
とても近いシニフィエを持っている。
どちらも元素や情報というものが集まって1つの塊として
毅然と立ち上がっている姿には、
我々を有無を言わさず引きつける力があるのだろう。
2015.06.01




2015/05/31

三明治 / SANDWICH



横長の矩形を2つ重ねて描くと、
=マークのような図形になり、間に何か挟みたくなり、
それはサンドイッチのように見えてきた。

サンドウィッチは、パンに肉や野菜などを挟んだり乗せたりした料理の総称で、
食器や食卓がなくとも片手でも食べられる携帯食である。
日本ではパンの耳を切り落としたものが多く見られるが、
これはイギリスの王室のあるスタイルを参考にしたのが最初とされている。
世界のサンドイッチはまた様々で、
フランスやドイツなどのヨーロッパでは、
表面の硬いバケットで挟んだり、ライ麦パンに挟む方が主流で、
サンドイッチスタイルを元にして、加熱調理した料理も多数あり、
イタリアのパニーノや、アメリカのホットドッグやハンバーガー、
クロックムッシュ、ベーグルサンドなどもサンドイッチの親戚だろう。
サンドイッチという名前の由来は、信じがたいが
イギリスの第4代サンドイッチ伯爵にちなんでつけられたという。
彼は政治や芸術に傾倒するあまり、常に片手は仕事をしていたため、
片手で食べられるサンドイッチスタイルを発明したそうだ。
後の定番となる食のスタイルの元をつくった伯爵は実に偉大である。
また、漢字でどう書くのかを調べると、中国などでは三明治と書くようだ。
どうしてそう書くのかはわからないが、
どこか「三」という漢字がサンドイッチの3層構造に似ている
気がするのは僕だけであろうか。

サンドイッチという記号のシニフィアンは、
多種多様なフォルムを内包している特殊なものであると言える。
何かそれをひとつにシンボル化するとしたら、
外形からの発想ではなく、中国語のように「三」という記号を用いて、
3層構造の構成要素の数で表すのが得策なのかもしれない。
2015.05.31