どこか張りがなく、
くたっとした感じで身が詰まっていない形。
カットされてスーパーで売られている
竹の子の欠片(かけら)のようにも見えたので、
その下になんとなくベルトコンベアのように
断続的に動き続けるようなイメージの図形を配してみた。
それは、自然な形の生成過程と人工的な形の生成過程の
矛盾を感じさせるものになった。
欠片は断片的なものであり、価値が劣るとも考えられるが、
工場において機械的な加工という生産過程を経たものには、
無条件で付加価値が与えられる。
それは消費という概念が生んだ価値である。
何でもそうだが、そのもの本来の自然な形は美しく、
なぜそれがそういった形をしているか理由を持つ。
そう考えると加工というのは、
本来価値がなくなったとも言える形に、
むりやり価値を与えているとも言えるかもしれない。
また、欠片というのは美しく見えることもある。
そこには、形あるものはいつか壊れるという、
仏教で言うところの諸行無常のようなな心持ちがあるのだろう。
ひょっとすると本来欠片というのは、
自然な形の生成過程の延長線上にあるもので、
元々美しさを持ち合わせている存在なのかもしれない。
消費のために加工という生成過程を通過したそれは、
美しき欠片になりたくてもなりきれない、
可哀想な存在なのかもしれない。
2015.02.28