茎のような線の上にふっくらとした 膨らみを描いた。
どこかで見たことがあると思っていたら、
泥池から突如としてその姿を表す蓮の花の蕾に見えてきたので、
背景には蓮の花の色と形を意識した色を配してみた。
蓮の花は、仏教において仏様の象徴とされる花であることは有名だが、
そうなった理由の1つは、泥池の中から生ずるのにも関わらず、
むしろその泥池から栄養を吸収し、
その汚れのない美しい花を咲かせるからであるという。
仏教の考え方では、我々が生きる俗世が
妬みと怒りに満ち溢れた弱肉強食のドロドロした世界と考えられているため、
蓮の花はそれに染まらずに正しく悟りを開く存在の象徴になるようだ。
そして、蓮が他の花と変わっているのは、
蕾の中に最初から実が結実しているところで、
人が生まれつき仏性を持ち合わせていることに例えられることもある。
蓮の花弁は、蕾の時は汚れなき実をを泥から守るための袋だが、
その実が日の目にさらされた時に、それを美しく演出する
舞台美術にもなるのだ。
また、蓮の実は、蜂の巣のような形状をしていて、
一説によると、蓮(ハス)という呼び名は、
蜂巣(ハチス)から転じてハスになったとも言われているらしく、
よく静物デッサンで蓮の実を描く時に、蜂の巣に似ていると
思っていたが、まさか名前の由来とは思ってもみなかった。
手を合わせて合掌をするときの手の形も、
少し手の力を抜いて丸くすると蓮の蕾のシルエットをしていて
右手が仏様を表し、その手で迷いと苦しみの世界に生きる我々を
包み込むという意味があり、その蕾の中にある蓮の実を
心の中に移して蓮華を咲かせると、そこに仏様が現れるという。
心に仏様を持つということの、非常に分かりやすい解説だと感心できる。
そんな身近な仕草の中にも
蓮の花のシニフィエがひそんでいたことに驚いた。
これはもう、知らぬが仏できない話である。
2015.02.25
0 件のコメント:
コメントを投稿