WAGOMU-このブログについて-


WAGOMUというのは、「和」と「和む(なごむ)」から創った造語に、「輪ゴム」という括る対象によってその形状を柔軟に変化させることのできる図像の記号性を与えたものです。このブログは、2009年から「瞑想」というキーワードと向き合いながら広告会社でデザインをしている自分から生まれた造形に言語的アプローチで再解釈を与えることを目的に2015年の年頭にはじめました。
実家が、高野山真言宗という密教系の宗派のお寺であることから、美術大学の卒業製作のテーマとして「阿字観」という瞑想に出会いました。密教では阿字(大日如来を表すサンスクリット文字)と対峙しながら瞑想を行います。他の瞑想のスタイルにおいても、何か1つの対象や動作に意識を集中することで、瞑想を体得するものが多いのです。インターネット社会になり、SNSのタイムラインのようにどんどん流れていく情報が増え、多次元的に脳に取り込む情報の量が日々増えていくようになって久しい現代社会において、グラフィックが「瞑想」と同じような効果を人間の脳に与えることができるのではないか。それが私のコンセプトです。
しかし、このテーマを持ちながらデザインをする自分自身が日々の生活や仕事の中での大量の雑多な情報のインプットによって、1つの図像から受け取るインスピレーションの感度や、表現力が劣化しているのではないかという懸念が生まれました。そこで、図像に対しての感度を鈍らせないために、画材を制限したドローイングと、そこから見出した自分自身の思考の軌跡をブログという形で残すことにしました。ブログを書きついでに瞑想しようというわけです。日によっては更新できない日もあるでしょうが、基本的に1日1投稿を目標に続けていきたいと思っています。2015.01.03

2015/08/08

二重堀 / DOUBLE MOAT



太さの違う正方形を2つ描くと、
近代から中世の日本のお城に見られる
お堀を上から見たイメージのように見えてきた。

お堀は、敵や動物の侵入を防ぐために作られたもので、
水が張られているものが水堀と呼ばれ、
水が張られていないものが空堀と呼ばれている。
よく、外堀を埋めるという言い方をするが、
これはある目的を達成するために、
その周囲の問題から片付けていくというものだが、
まさに城の本丸を落とすために先に掘りを埋めるという、
城の防御法を逆手に取った攻法であり、日本人的でもある。
しかし、江戸城や大阪城のように規模の大きいお城に至っては
外堀だけでなく内堀というものも存在している。
内堀というと城の内側のものかと思うがそうではなく、
攻め入る敵から見たときに二重になるように掘りが配置され、
結果的に城に到達するために2度掘りを超える構造になっている。
水門を設けて海から掘りに水を引き込んでいるために、
完全な二重囲いにはならず、どこかしらで水路の変更を
うまく考慮して設計されているようだ。
江戸城の堀の分かりやすい図解をしているサイトがあったので、
リンクを貼っておく。

外堀りを埋めていく戦法を使う場合、
大きな目的を達成しようとすればするほど
二重の掘りを埋めるために様々な根回しや手間がかりそうだ。
なんとも面倒で気が遠くなりそうであるが、
そのためには徳川が大阪夏の陣・冬の陣で豊臣を落とした話のように、
どこかで起点を効かせた悪知恵が必要なのだろう。
2015.08.08




2015/08/07

月梯子 / MOON LADDER



2本の縦線の間に、
横棒を何本か渡してみると
天に向かって登る梯子に見えてきた。

梯子は、天に向かうように
上に向かっていくための用途の他にも、
梯子酒というように何軒も横に店を移って飲む時にも使われる。
つまり、横にも縦にも梯子を渡していくことが
できるということである。
横に梯子する分には全く問題ないのだが、
上に向かって登って行く際には、その梯子が
何かの拍子に外れて、真っ逆さまに落ちてしまうリスクも
孕んでいるのではないか。
梯子を外されるなどという表現があるが、
まさに1本の梯子を伝って一段一段真っ直ぐ
登っていくことだけに集中しすぎると、悪意のある
悪戯によって足元をすくわれて、致命傷を負いかねない。
そうならないためにできることはあるのだろうか?
梯という漢字には、「低いところから登るための木製のはしご」
という意味があるようだが、本来は架け橋的な意味合いだったものが
梯子になった瞬間に上へ無限に伸びるようになったのだろう。
その証拠に、はしごの「はし」はもともと橋と同源の「階」で、
離れたところを掛け渡すものの意であり、
昔から階段の一段を「はしのこ」と呼ぶこともあるようだ。

そう考えると、階段には存在して梯子にはないものが
あることに気づいた。「踊り場」である。
高いところを目指して梯子を使って登る時にも
途中で踊り場を設けて登っていくことで、
梯子を外された際のリスクを抑えられるのではないか。
月まで登っていくときは、
雲を踊り場にして登っていけるのかもしれない。
2015.08.07





2015/08/06

数遊戯9 / NUMBER PLAY 9



9つの四角を描いた。
そこからどんなイメージが生まれるか、
試してみようと思う。

9という数字は、
日本語の読みが「く」となることから、
苦をイメージする数字として
忌み嫌われることがある。
中国では久という漢字1字で書けることから、
とても縁起のいい数字とされていて、
必ずしも縁起が悪い数字というわけではない。
また、8個までは割と、個数が一瞬で判別できたが、
9つの四角を何も考えずに描くと
バラバラな配置かつ、四角が何個あるのか
一瞬で判断するのが難しいと感じた。
そのため、3個で1個の方形に見えるように詰めた四角を
9個描くことで、図形としての秩序を与えてみた。
野球の1チームの人数は9人だが、
9人のポジションがしっかりと固められている。
もし、9人が自由に動き回っていたら、
とてもじゃないがゲーム自体が成立しない。
9という数には、もはや統制が必要なのだ。
掛け算の基本を習得するための九九があるが、
それは、人間が即座に記号的に認識できる数の限界が
9だということを意味しているのかもしれない。
あるいは、人間が自分たちの10本の指の数以上のは
数えられないことを自覚して生み出した知恵だったのだろう。
2015.08.06







2015/08/05

数遊戯8 / NUMBER PLAY 8



8つの四角を描いた。
そこからどんなイメージが生まれるか、
試してみようと思う。

8は、四方八方と言うとよく分かるが、
不自由なく方位を満たしたり、
八方美人などと言われると、
誰に対してでもという、多数の対象を
表す必要最小数なのかもしれない。
また、古代の日本においては、聖数と言われ
八島、八雲、八重桜、八百万の神などと
大きい数を表す際に使われることもある。
ドレミファソラシドの音階の
一段高い音階を表すオクターブという言葉も、
ラテン語で8の意味を表すオクトからきているという。
図形としての形も、漢字の八は末広がりで縁起よし。
算用数字の8は円が2つで円満を意味したり、
横に倒すと無限大マークになる。
まさに四方八方をうまく固められ、
議論も八方塞がりなのである。
2015.08.05




2015/08/04

数遊戯7 / NUMBER PLAY 7



7つの四角を描いた。
そこからどんなイメージが生まれるか、
試してみようと思う。

7は数字の中でも、
我々の日常で最も多く頻出する数字のひとつである。
いい意味で使用される代表格としては、
ラッキーセブンなどと言うときである。
その由来は意外にも、アメリカの野球の試合における
7回に起きたラッキー逆転劇から来ているという。
何よりも1週間は7日であり、
我々の体内には7という数字のリズムが間違いなく
刻み込まれていることだろう。
1週間が7日になった理由には様々な説があり、
それが正しいかは解明されていないようだ。
古代ギリシア文明の宗教から、あるいは月の満ち欠けによるもの
キリスト教における天地創造の話によるものなど、
7を取り巻く話は、尽きないのである。
また、人が亡くなってから7日目を初七日、
四十九日に法要を行ったりする仏教の習慣も
7日刻みになっている。これはインド仏教が元にあり、
死者が次に生まれ変わる道が決まるとされる四十九日までの間、
7日ごとに法要が行われていたことに由来するようだ。
また、七福神や七夕、七草粥など、
7という数字はどうしたって我々の周りに頻出する。
7という数字は、地球上で生きる我々に、
ある一定の秩序を与えるために作り出された
プログラムコードと考えるのが全うなのかもしれない。
2015.08.04



2015/08/03

数遊戯6 / NUMBER PLAY 6



6つの四角を描いた。
そこからどんなイメージが生まれるか、
試してみようと思う。

6は、3次元の立体世界において、
立方体を成立させるために必要な最小の面の数である。
六面体は、室内の間取りの基本として多く使われるため、
天井と床のある空間構成の最小単位にもなる。
また、虫の知らせのような、
人間の第六感という日常や常識を超えた
直感や予知能力を示す場合にも使われる。
シックスセンスという映画があるが、まさにそうだ。
また、6個1組の概念も多く存在する。
六法全書や六大学野球、喜怒哀楽愛憎の六情など、
6で括ることができるものは多数存在している。
蜂の巣などに見られ、非常に強度のある構造体とされる
ハニカム構造の1ユニットも六角形であり、
ある安定感の礎になる基本単位であるとも考えられる。
どうやら、6という数のポテンシャルは非常に高いようだ。
例外があるとすると、
慶事において6個入りのお菓子などを贈ると
縁起が悪いなどと言われることぐらいだろうか。
偶数は割れたり、別れたりすることため、
縁起が悪い数字とされることがある。
縁起を担ぐのが好きな日本人らしい話だが、
きりがないので、きりがいいところで終わりにしておこう。
2015.08.03







2015/08/02

数遊戯5 / NUMBER PLAY 5



5つの四角を描いた。
そこからどんなイメージが生まれるか、
試してみようと思う。

5は0から数えて、3つ目の奇数である。
1、3と同様、偶数で割り切れない数字であり、
2種類の対立に属さないことから、中立を表すこともあるようだ。
日本語で、2つの力がほぼ対等なことを五分五分と言うこともある。
5で思い出すのは、昔やっていたバスケットボールのチームが
1チーム5人であったことだ。
考えてみれば、なぜかバスケットボールのゲームは、
1対1、3対3、5対5、というように
奇数同士の対戦が基本になっている。
おそらくだが、どの戦術もうまく組み立てれば、
頭数を相殺しあって、1対1の状況を作り出すか、
1人のノーマーク状態をうまく作り出すことで、
高確率で得点を得るようになっていたことに改めて気付く。
戦隊ものの編成が、5レンジャーというくらいで、
5人組が基本になっていることからも、
チーム編成を組む上で個々の個性を最大限に発揮出来る最小単位が、
5なのかもしれない。
また、仏教においてこの世界を構成する要素を
五大(地・水・火・風・空)と言ったり、
道教においても五行(木・火・土・金・水)と言ったり、
人間の基本的な感覚を五感と表現したりすることは、
5つの構成要素があれば、この世の事象のある程度の
バランスをとることができるという裏付けにもなっているのだろう。
我々が5体満足なことは当たり前ではなく、
有難いことだと感謝しながら、日々精進しなくてはならないのだ。
2015.08.02