丸い頭に、スカートのような
末広がり型の体がついたシルエットは、
明日晴れてほしいという願いを込めて作る、照照坊主のようだ。
照照坊主は、日本独自の風習である。
我々は子供の頃から、遠足の前の日などに晴れることを願って
窓のところに吊るすことに抵抗がなかったと思う。
逆さまにしたり、顔を描くと雨になるというのも有名な話だ。
しかしこの風習は、偶像崇拝を禁忌する
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の文化からすると、
罪に値することかもしれない。
その感覚は、日本人にはなかなか理解しづらいものであると思う。
偶像とは、人間が作るものであるため
それを信仰することは神を否定することになる。
唯一神の存在を絶対的なものにするための偶像崇拝禁忌なのである。
偶像崇拝とは、神の存在を具体的に可視化して
それを信仰することを指すが、
照照坊主はある意味、偶像崇拝的行為とも言えるのではないか。
ティッシュペーパーで作った坊主に、
晴れにしてくれと拝む。坊主だから拝むが筋だろう。
こう考えると、日本には様々な偶像崇拝的行為があると思えてくる。
偶像を英語にするとIDOLである。
この言葉が、日本で隆盛するアイドルの語源になっているのだ。
いま日本には、アイドルが自分を照らしてくれる
神様だと思っている人がどれほどいることか。
世界から見ると、アイドル信仰文化は日本で生まれた
奇妙な信仰文化に見えるのかもしれない。
逆に言うと、日本人はそれを何の違和感も持たずに
できてしまうということでもある。
それは、日本が神道、仏教という唯一神を持たない宗教を
ベースにしてきた国だから発展することができた文化なのかもしれない。
日本はいま、様々な新興宗教が蔓延る
宗教のテーマパークのようになってしまっているのではないか。
世界が宗教で統制されてきた歴史を考えると、
今一度自分たちの心の所在を考えてみることも大切だと思う。
2014.04.24
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