WAGOMU-このブログについて-


WAGOMUというのは、「和」と「和む(なごむ)」から創った造語に、「輪ゴム」という括る対象によってその形状を柔軟に変化させることのできる図像の記号性を与えたものです。このブログは、2009年から「瞑想」というキーワードと向き合いながら広告会社でデザインをしている自分から生まれた造形に言語的アプローチで再解釈を与えることを目的に2015年の年頭にはじめました。
実家が、高野山真言宗という密教系の宗派のお寺であることから、美術大学の卒業製作のテーマとして「阿字観」という瞑想に出会いました。密教では阿字(大日如来を表すサンスクリット文字)と対峙しながら瞑想を行います。他の瞑想のスタイルにおいても、何か1つの対象や動作に意識を集中することで、瞑想を体得するものが多いのです。インターネット社会になり、SNSのタイムラインのようにどんどん流れていく情報が増え、多次元的に脳に取り込む情報の量が日々増えていくようになって久しい現代社会において、グラフィックが「瞑想」と同じような効果を人間の脳に与えることができるのではないか。それが私のコンセプトです。
しかし、このテーマを持ちながらデザインをする自分自身が日々の生活や仕事の中での大量の雑多な情報のインプットによって、1つの図像から受け取るインスピレーションの感度や、表現力が劣化しているのではないかという懸念が生まれました。そこで、図像に対しての感度を鈍らせないために、画材を制限したドローイングと、そこから見出した自分自身の思考の軌跡をブログという形で残すことにしました。ブログを書きついでに瞑想しようというわけです。日によっては更新できない日もあるでしょうが、基本的に1日1投稿を目標に続けていきたいと思っています。2015.01.03

2015/04/24

照照坊主 / WHEATHER IDOL



丸い頭に、スカートのような
末広がり型の体がついたシルエットは、
明日晴れてほしいという願いを込めて作る、照照坊主のようだ。

照照坊主は、日本独自の風習である。
我々は子供の頃から、遠足の前の日などに晴れることを願って
窓のところに吊るすことに抵抗がなかったと思う。
逆さまにしたり、顔を描くと雨になるというのも有名な話だ。
しかしこの風習は、偶像崇拝を禁忌する
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の文化からすると、
罪に値することかもしれない。
その感覚は、日本人にはなかなか理解しづらいものであると思う。
偶像とは、人間が作るものであるため
それを信仰することは神を否定することになる。
唯一神の存在を絶対的なものにするための偶像崇拝禁忌なのである。
偶像崇拝とは、神の存在を具体的に可視化して
それを信仰することを指すが、
照照坊主はある意味、偶像崇拝的行為とも言えるのではないか。
ティッシュペーパーで作った坊主に、
晴れにしてくれと拝む。坊主だから拝むが筋だろう。
こう考えると、日本には様々な偶像崇拝的行為があると思えてくる。
偶像を英語にするとIDOLである。
この言葉が、日本で隆盛するアイドルの語源になっているのだ。
いま日本には、アイドルが自分を照らしてくれる
神様だと思っている人がどれほどいることか。
世界から見ると、アイドル信仰文化は日本で生まれた
奇妙な信仰文化に見えるのかもしれない。
逆に言うと、日本人はそれを何の違和感も持たずに
できてしまうということでもある。
それは、日本が神道、仏教という唯一神を持たない宗教を
ベースにしてきた国だから発展することができた文化なのかもしれない。

日本はいま、様々な新興宗教が蔓延る
宗教のテーマパークのようになってしまっているのではないか。
世界が宗教で統制されてきた歴史を考えると、
今一度自分たちの心の所在を考えてみることも大切だと思う。
2014.04.24

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