ふわふわで捉えどころがない形。
この形には型というものがなく、
生まれてくるたびに違う形をしていそうだ。
それは、子供の頃お祭りで胸をときめかせていた
「わたあめ」のかたちだった。
迷わず割り箸のような棒を、そのふっくらとした形に刺してしまった。
デザインにおけるアフォーダンスという概念は、
モノに備わっている、ヒトが知覚できる「行為の可能性」である。
プロダクトの場合、モノの形態自体が、
それを使う者に対して訴えかけてくる用途や行為の示唆である。
わたあめのような形態は、捉えどころがないがゆえに、
やわらかそうで触ってみたかったり、
雲を食べるという夢を叶えてみたくなったりと、
いくつものアフォーダンスを含んでいるのではないか。
おそらく、棒をプスッと刺したいというのも、
我々がお祭りで見たわたあめの体験と記憶から発生するものだろう。
ただ、調べていて知ったことなのだが、
このデザインにおいて運用されるアフォーダンスは、
アメリカの知覚心理学者のジェームス・J・ギブソンが提唱した
本来のアフォーダンスとは意味が異なっているらしい。
その本来の意味とは、
「動物と物の間に存在する行為についての関係性そのもの」であるという。
だとすると、デザインの文脈でアフォーダンスを用いることは
本来間違っているということになるのか。
本来の意味と、後に再定義された意味との間には隔たりが生まれてくることが
しばしばある。辿ってみないと以外とそこには思いが至らないが、
物事を記号的な解釈をしていく上では、
知っておいたいいことがいくつもありそうである。
2015.02.09
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