丸い形から1本の線を伸ばすと、
秋に黄色く色づく銀杏の実のようになった。
銀杏は「いちょう」とも「ぎんなん」とも呼ばれ、
「いちょう」という呼び名の語源は中国語にあるという。
宋のの時代にアヒルの足のことをヤーチャオ、あるいは
イーチャオと発音していたものが、
鎌倉時代に日本に伝わったのが初めのようだ。
また、銀杏の樹は生命力が非常に強いことでも知られ、
過去に広島の原爆の焼け野原でも生き残った銀杏の樹もあるほどで、
枝を切って土に植えると、芽と根が生えてくるそうだ。
銀杏には雄と雌があり、雌の樹にはいわゆる銀杏の実がなり、
秋になると実が落ち、あの果肉の独特の臭気が放たれる。
水に浸けて身をほぐし、中の殻を割りさえすれば、
酒の肴にありがたいルビーのような宝物が出現する。
一般的に我々が食すこれは、身ではなく種の中身であり、
梅干しでは天神様、杏子では杏仁と呼ばれ、
しばしば信仰の対象にもなるありがたいものなのである。
これらは植物の生命力の根源であり、
食物としては、他の食材とは根本的に何か違うということが
容易に想像できるのではないか。
一説によると、種の中身には時期を間違うと危険な
毒素が含まれているという。
少量では問題ないとされているが、食べ過ぎると
痙攣を起こすようなこともあるというのだ。
どこか、魚卵などのプリン体の多い旨いものを食い過ぎて、
痛風を発症するのに似ている気がしてしまう。
我々は旨いものを追い求める。その旨いものは、
必ずと言っていいほど何かの命である。
生きるために他の命を食さなくてはならないという宿命のなかで、
刹那的に食欲を肥大させていく我々にとって、
この命が凝縮された種の中にある小さな毒が、
小さな警鐘を鳴らしているようにも思えるのではないか。
2015.09.04
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