WAGOMU-このブログについて-


WAGOMUというのは、「和」と「和む(なごむ)」から創った造語に、「輪ゴム」という括る対象によってその形状を柔軟に変化させることのできる図像の記号性を与えたものです。このブログは、2009年から「瞑想」というキーワードと向き合いながら広告会社でデザインをしている自分から生まれた造形に言語的アプローチで再解釈を与えることを目的に2015年の年頭にはじめました。
実家が、高野山真言宗という密教系の宗派のお寺であることから、美術大学の卒業製作のテーマとして「阿字観」という瞑想に出会いました。密教では阿字(大日如来を表すサンスクリット文字)と対峙しながら瞑想を行います。他の瞑想のスタイルにおいても、何か1つの対象や動作に意識を集中することで、瞑想を体得するものが多いのです。インターネット社会になり、SNSのタイムラインのようにどんどん流れていく情報が増え、多次元的に脳に取り込む情報の量が日々増えていくようになって久しい現代社会において、グラフィックが「瞑想」と同じような効果を人間の脳に与えることができるのではないか。それが私のコンセプトです。
しかし、このテーマを持ちながらデザインをする自分自身が日々の生活や仕事の中での大量の雑多な情報のインプットによって、1つの図像から受け取るインスピレーションの感度や、表現力が劣化しているのではないかという懸念が生まれました。そこで、図像に対しての感度を鈍らせないために、画材を制限したドローイングと、そこから見出した自分自身の思考の軌跡をブログという形で残すことにしました。ブログを書きついでに瞑想しようというわけです。日によっては更新できない日もあるでしょうが、基本的に1日1投稿を目標に続けていきたいと思っています。2015.01.03

2015/08/26

歯橋 / TOOTH BRIDGE



二重のアーチの間に、
交互に等間隔に接するギザギザの線を描くと
ガッチリと組まれたトラス構造の橋か、
食いしばった歯のように見えてきた。

橋は、行き来を阻む存在の上を越えて通行するために
人間が創りあげた構造物でだが、
最初にそれを架けようと考えた人間の意志は
その後の世界を変えることになったと思う。
古くは紀元前4000年のメソポタミア文明の頃から、
石積みの橋があったというのだからすごい。
それはおそらく交通上の問題の解決と同時に、
時の権力者の名前や権力を知らしめるための
メディアでもあったのだろう。
また、古代ローマ時代など古くは
橋を架けるのは聖職者の役割で、
中国や日本でも、仏教僧侶が架けることが多かったという。
それまで何かに隔てられていたモノとモノの間を繋ぎ、
人や情報が行き来できるようするということは、
まさに創造の路を切り拓くことであり尊いことだろう。
架けられた橋は橋で、昼夜を問わず人々の交通を支える
黒子のような存在に徹し続けることになる。
まさに、歯を食いしばって佇んでいるようだ。

世界で最長の橋は、
中国にある丹陽-昆山特大橋という橋で、全長164.8kmだという。
ちょっと想像し難い距離の橋だが実際に機能している。
ここまで来ると、橋を架けたというよりもむしろ
道を敷いたというような感覚に近く、
橋である必要があるのかないのかわからなくなってくる。
2015.08.26





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