WAGOMU-このブログについて-


WAGOMUというのは、「和」と「和む(なごむ)」から創った造語に、「輪ゴム」という括る対象によってその形状を柔軟に変化させることのできる図像の記号性を与えたものです。このブログは、2009年から「瞑想」というキーワードと向き合いながら広告会社でデザインをしている自分から生まれた造形に言語的アプローチで再解釈を与えることを目的に2015年の年頭にはじめました。
実家が、高野山真言宗という密教系の宗派のお寺であることから、美術大学の卒業製作のテーマとして「阿字観」という瞑想に出会いました。密教では阿字(大日如来を表すサンスクリット文字)と対峙しながら瞑想を行います。他の瞑想のスタイルにおいても、何か1つの対象や動作に意識を集中することで、瞑想を体得するものが多いのです。インターネット社会になり、SNSのタイムラインのようにどんどん流れていく情報が増え、多次元的に脳に取り込む情報の量が日々増えていくようになって久しい現代社会において、グラフィックが「瞑想」と同じような効果を人間の脳に与えることができるのではないか。それが私のコンセプトです。
しかし、このテーマを持ちながらデザインをする自分自身が日々の生活や仕事の中での大量の雑多な情報のインプットによって、1つの図像から受け取るインスピレーションの感度や、表現力が劣化しているのではないかという懸念が生まれました。そこで、図像に対しての感度を鈍らせないために、画材を制限したドローイングと、そこから見出した自分自身の思考の軌跡をブログという形で残すことにしました。ブログを書きついでに瞑想しようというわけです。日によっては更新できない日もあるでしょうが、基本的に1日1投稿を目標に続けていきたいと思っています。2015.01.03

2015/07/17

薬缶熱 / KETTLE HEAT



ドーム型のシルエットに、
取っ手のようなアーチと、横に突き出た棒を生やすと
熱々に沸騰する薬缶のように見えてきた。

薬缶の語源は、薬を煮出すために用いられたことから
鑵(やくくわん)と呼ばれていたことに由来し、
そこから音が転じてやかんになったという。
鑵(くわん)というのは水を汲む器が原義で、
薬缶という漢字は当て字で、やかんと呼ばれるように
なった後に当てられたようである。
日本には、薬缶と同じような形状をしている
土瓶という食器が存在する。
用途はほとんど同じであり、こちらのほうがむしろ
薬缶よりも先に日本の生活には馴染んでいたと言える。
お茶を飲むために、湯を沸かしたりする用途としては
おそらくこちらのほうが丁度良かったのではないか。
しかしその後、金属製の薬缶が一般化したり、
その他の機能性に長けた容器が出てくるにつれて、
土瓶の使用頻度は徐々に下がり、
日常で使われる日本の食器の中から
姿を消していくことになったのだろう。
薬缶(ケトル)は西欧文化の流入と共に、
土瓶という日本の陶磁器文化に取って代わったとも言える。

最近では、日本独自の家具や生活様式を見直す傾向があるため、
あえて薬缶ではなく土瓶を選択する人も増えているように思う。
薬缶は沸かす湯の量によってはとても重宝するが、
それ以上に生活の質を求めるようであれば、
昔から手に馴染んだ土瓶を検討してみるのも悪くないだろう。
日本人の薬缶熱は徐々に冷め始めているのかもしれない。
2015.07.17







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