WAGOMU-このブログについて-


WAGOMUというのは、「和」と「和む(なごむ)」から創った造語に、「輪ゴム」という括る対象によってその形状を柔軟に変化させることのできる図像の記号性を与えたものです。このブログは、2009年から「瞑想」というキーワードと向き合いながら広告会社でデザインをしている自分から生まれた造形に言語的アプローチで再解釈を与えることを目的に2015年の年頭にはじめました。
実家が、高野山真言宗という密教系の宗派のお寺であることから、美術大学の卒業製作のテーマとして「阿字観」という瞑想に出会いました。密教では阿字(大日如来を表すサンスクリット文字)と対峙しながら瞑想を行います。他の瞑想のスタイルにおいても、何か1つの対象や動作に意識を集中することで、瞑想を体得するものが多いのです。インターネット社会になり、SNSのタイムラインのようにどんどん流れていく情報が増え、多次元的に脳に取り込む情報の量が日々増えていくようになって久しい現代社会において、グラフィックが「瞑想」と同じような効果を人間の脳に与えることができるのではないか。それが私のコンセプトです。
しかし、このテーマを持ちながらデザインをする自分自身が日々の生活や仕事の中での大量の雑多な情報のインプットによって、1つの図像から受け取るインスピレーションの感度や、表現力が劣化しているのではないかという懸念が生まれました。そこで、図像に対しての感度を鈍らせないために、画材を制限したドローイングと、そこから見出した自分自身の思考の軌跡をブログという形で残すことにしました。ブログを書きついでに瞑想しようというわけです。日によっては更新できない日もあるでしょうが、基本的に1日1投稿を目標に続けていきたいと思っています。2015.01.03

2015/05/21

半蔀 / LATTICED SHUTTER



正方形を上下に2つ並べた位の矩形を
2段に分割し、上部のみに格子を描き加えた。
それは、上半分を吊り上げられる仕様になっている
半蔀(はじとみ)のようになった。

半蔀の原型は蔀戸(しとみど)といって、
平安時代に貴族が住んでいた寝殿造の建築の中に見られる。
蔀戸は窓の元祖とも言われ、
蔀には日光や風雨を遮るものという意味があるようだ。
蔀戸は、当時窓もなく暗かった室内を一気に明るく開放的にして、
外気を大量に取り込む画期的な発明だったという。
上部の板だけが開くようになった半蔀は、
能の演目のタイトルにもなっていて、
源氏物語で源氏の君の恋人であった夕顔の霊が、
昔の恋を語って舞う、とても美しく儚い演目である。
その能の舞台の演出に、この半蔀が用いられる。
私も最近、喜多流能楽師の塩津圭介さんのお誘いで、
この半蔀を初めて鑑賞させていただいた。
能の舞台演出の半蔀には、瓢箪と夕顔の蔓が巻きついている。
この半蔀は、源氏との出会いの象徴でもあり、
夕顔の霊が住む五条、あるいは、霊が潜む夕顔の花の陰でもある。
その見立てられた美術の格子の隙間から見える夕顔の
能面の表情を伺うのが、個人的にはとても面白かった。
その後、半蔀の格子が吊り上げられて開いたときには、
その夕顔の表情から目が離せなくなっているのだ。
あとは能の舞いが終わるまで、舞台の陰影によって
微妙に移り変わる夕顔の表情と、囃子の音に魅了され、
気付くと夕顔は夜明けと共に蔀戸の中に戻っていく。

蔀戸という実用的な窓の原型を舞台演出に置き換えたそれは、
非常にシンボリックなものであった。
それゆえに非常に印象的で、能楽師が表現する夕顔の感情と共に、
鑑賞後もその絵が頭の中にしっかりと残っていくのかもしれない。
2015.05.21

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