中心に向かって放射状に集まる線。
ただ、そこに規則はなく有機的な印象を受けた。
それは百人百様の文様を持つ親指の指紋のように見えた。
親指の指紋は拇印として、印鑑を持ち合わせていない時などに
代用されることがあるほど、本人確認の有効手段とされている。
言い換えれば、個々人の顔と同じような役割を持っているとも言える。
指紋というくらいで、この唯一無二の文様は
図形としてのある一定の造形としての美しさを持っていると思う。
それは、意図して作り出せるものではないがゆえの美しさであり、
自然界に存在するものの美しさに通じるものがある。
ただ、普段はあまり人の目に触れることがないからか
その造形に必要以上に固執する必要もないとされている気がする。
反面、我々は顔というものに非常に拘りを持つ。
人によってはその美しさを必要以上に際立たせるために
顔にメスを入れるようなことも辞さない。
この背景には、いちばん人の目に触れる場所がゆえに
他人と比較されてしまうというところがある。
どこかで美しさの基準が定義されてしまい、その基準との
比較でコンプレックスを抱いたり、自信を持ったりという
感情の振れ幅が生まれてくるのではないか。
解剖学者の三木成夫の著書「胎児の世界」の中で著者は、
胎児は生命発生の歴史を繰り返すと述べている。
胎児の顔は、受胎後30日頃から古代魚類、両生類、爬虫類、原始哺乳類
といった順番で一気に進化の過程を辿るという。
ビジュアルで見るのがいちばんわかりやすいので、
リンクを貼っておくが、その容姿は人間の顔といよりは、
指紋の皺の印象に近いとすら思えてくる。
ただ、この造形は美しいかどうかではなく
間違いなく我々にとって愛すべき造形である。
コンプレックスという後天的な感情を持った人にうまく
伝えるのは難しいが、自分の身体の造形の発生を辿ることで
その造形を少しでも愛するきっかけになるといいと思うのである。
2015.03.15
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