規則性のない連続したラフな線の集積は、
なんとなく扇型か三角形のような形をしている。
その背景に赤と緑のコントラストを与えると、
何だか夏に齧りつく西瓜の欠片に見えてきた。
色彩と図形から受け取れる情報の中には、
ある行為との関係性を示しているものもある。
ここで言う行為というのは、例えば、
西瓜をカットすることや、西瓜に齧りつくことである。
我々の世界には、自然生成で発生した形態と、
人工生成した形態の2種類が存在する。
逆に言うとそれ以外はなく、
デザインという行為は後者に当たる。
自然生成と人工生成の大きな違いは、
無からの生成か、有からの加工かである。
そう考えると、もはや人間の手が加わっていないものは
ほぼ皆無であると思えてくる。
国立公園や世界遺産など、手付かずの自然を
保護するとしても、そこには必ず人間の手が加わる。
保護という行為すら、人工的なものなのかもしれない。
アートにおいても、様々なインスピレーションを自然から受け、
様々な表現を生み出してきている。
デザインにおいても、自然とサスティナブルな付き合い方をしていくために、
人間は自然の形態をモチーフにしたり、自然の素材を活かすデザインを生み出している。
そういったことが、大きなテーマになっている時代だが、
それは全体のバランスを取るために、ごくごく自然のことなのだろう。
人間は、新しい素材を求めて宇宙にも飛び出して行く生き物なのだから。
デザイナーはなかなか宇宙にはいけないが、
どういったスタンスで仕事をして、メッセージを発信していくのか
考えながら仕事をすることも大切だと改めて思う。
僕は個人的に、ドローイングをするときも
何か既に有る形を描こうとするのではなく、
そこに現象として生まれた形から、再定義していくようなアプローチを
試みている。ちょっと不思議なことをしているなあと思うこともある。
2015.01.29
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