頭が大きくて、ひらひらと泳いでいるようなシルエット。
何だろうと思いながら、鮮やかな赤と黒い帯をぶつけてみた。
それまではクリオネのような軟体動物にも思えていたが、
赤と黒の印象にからか、金魚のようにも見えてきた。
大きな頭に見えていたものは、出目金の飛び出した目のようにも見えてくる。
我々は金魚という存在を様々な要素から認識しているが、
特にその色は、脳内のイメージ形成の過程において
かなりの部分を占めているのだろう。
そもそも、金魚というのに、金色に輝いているイメージはない。
金魚という名前の由来は、光が当たると光って見えることや、
観賞用として昔とても高価だったことから来ているそうだ。
やはり、金魚の色と言えば赤や黒を真っ先にイメージする。
その様態の発端を遡ると、有力な説として、
中国の晋の時代に、フナが突然変異で黒い色素を欠いて
赤くなったという説がある。この話を聞くと、
金魚の色の記号性が赤や黒であることが気持ち良く腑に落ちる。
中国では今でも、金余(チンユイ)という名で、
蓄財につながるとされ、観賞用で人気があるようだ。
まさに金魚の名に恥じない働きをしているわけだが、日本ではどうだろうか。
もちろん、縁起物としてお金を出して観賞用に購入するケースもあるだろうが、
どちらかというと私たちの金魚のイメージを形成しているは、
お祭りの金魚すくいの生簀の中を泳いでいる大量の赤と黒の塊である。
その色彩の記憶と、目の前にある図像とのアナロジーこそが
僕の中にある金魚の記号性を作り上げていたのかもしれない。
2015.01.21
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