WAGOMU-このブログについて-


WAGOMUというのは、「和」と「和む(なごむ)」から創った造語に、「輪ゴム」という括る対象によってその形状を柔軟に変化させることのできる図像の記号性を与えたものです。このブログは、2009年から「瞑想」というキーワードと向き合いながら広告会社でデザインをしている自分から生まれた造形に言語的アプローチで再解釈を与えることを目的に2015年の年頭にはじめました。
実家が、高野山真言宗という密教系の宗派のお寺であることから、美術大学の卒業製作のテーマとして「阿字観」という瞑想に出会いました。密教では阿字(大日如来を表すサンスクリット文字)と対峙しながら瞑想を行います。他の瞑想のスタイルにおいても、何か1つの対象や動作に意識を集中することで、瞑想を体得するものが多いのです。インターネット社会になり、SNSのタイムラインのようにどんどん流れていく情報が増え、多次元的に脳に取り込む情報の量が日々増えていくようになって久しい現代社会において、グラフィックが「瞑想」と同じような効果を人間の脳に与えることができるのではないか。それが私のコンセプトです。
しかし、このテーマを持ちながらデザインをする自分自身が日々の生活や仕事の中での大量の雑多な情報のインプットによって、1つの図像から受け取るインスピレーションの感度や、表現力が劣化しているのではないかという懸念が生まれました。そこで、図像に対しての感度を鈍らせないために、画材を制限したドローイングと、そこから見出した自分自身の思考の軌跡をブログという形で残すことにしました。ブログを書きついでに瞑想しようというわけです。日によっては更新できない日もあるでしょうが、基本的に1日1投稿を目標に続けていきたいと思っています。2015.01.03

2015/06/24

局地的豪雨 / UNEXPECTEDLY STRONG RAIN



もこもこしたシルエットを描くと、
突然どこからともなく発生して大量の
雨を降らしていく不穏な雨雲に見えてきた。

日本ではもうゲリラ豪雨という言葉が定着して長いが、
特に夏にかけて局地的な積乱雲が発生して
1時間に100ミリ以上の雨を局地的に降らすような
ことがあるとゲリラ豪雨になる。
この特徴は、なかなか予測が困難なところらしく
雲行きが怪しくなってきたらすぐに室内に逃げ込む
というのが正解としか言いようがない。
日本ではゲリラ豪雨という呼び名が定着したが、
ゲリラ豪雨に遭遇すると東南アジアに行った時に
たくさん遭遇したスコールとほとんど同じ印象を受ける。
調べてみると、少し雨の質が違うところはあるものの
突発的な豪雨という点ではほぼ同じものである。
これは地球全体の気候変動に他ならず、
日本も東南アジアのような気候帯に少しづつ
入ってきているのではないかと思う。
日本の都市の下水は、もともとここまでの豪雨に対応して
作られていないため、必ず冠水してしまうのが現状である。
はっきり言って、ゲリ豪雨に降られるということは、
くじ引きでハズレくじ引くようなもので、
引いたら腹をくくるしかないという、非常に武士な世界である。

ゲリラ豪雨が降っているポイントと、その周辺とでは
劇画的にその世界が変わる。渦中の人はそれどころではないが、
周囲からその状況をみるとその上にある雲がこの世の明暗を
はっきりと分けていることが見て取れる。
地震雷火事親父ではないが、局地的豪雨は
自然に対する畏怖を感じる貴重な現象のひとつとも思えてくる。
2015.06.24

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