WAGOMU-このブログについて-


WAGOMUというのは、「和」と「和む(なごむ)」から創った造語に、「輪ゴム」という括る対象によってその形状を柔軟に変化させることのできる図像の記号性を与えたものです。このブログは、2009年から「瞑想」というキーワードと向き合いながら広告会社でデザインをしている自分から生まれた造形に言語的アプローチで再解釈を与えることを目的に2015年の年頭にはじめました。
実家が、高野山真言宗という密教系の宗派のお寺であることから、美術大学の卒業製作のテーマとして「阿字観」という瞑想に出会いました。密教では阿字(大日如来を表すサンスクリット文字)と対峙しながら瞑想を行います。他の瞑想のスタイルにおいても、何か1つの対象や動作に意識を集中することで、瞑想を体得するものが多いのです。インターネット社会になり、SNSのタイムラインのようにどんどん流れていく情報が増え、多次元的に脳に取り込む情報の量が日々増えていくようになって久しい現代社会において、グラフィックが「瞑想」と同じような効果を人間の脳に与えることができるのではないか。それが私のコンセプトです。
しかし、このテーマを持ちながらデザインをする自分自身が日々の生活や仕事の中での大量の雑多な情報のインプットによって、1つの図像から受け取るインスピレーションの感度や、表現力が劣化しているのではないかという懸念が生まれました。そこで、図像に対しての感度を鈍らせないために、画材を制限したドローイングと、そこから見出した自分自身の思考の軌跡をブログという形で残すことにしました。ブログを書きついでに瞑想しようというわけです。日によっては更新できない日もあるでしょうが、基本的に1日1投稿を目標に続けていきたいと思っています。2015.01.03

2015/06/25

肉叉 / FORK



先端が4つ又に分かれた線は、
食べ物を刺して口に運ぶフォークのようだったので、
先端にソーセージをくっつけた。

一般的に食卓で用いられるフォークは4つ又のものが多いが、
中には2つ又、3つ又のものもある。
日本語では肉叉という訳語が当てられることがあるようで、
ヨーロッパでのもともとの使用用途も、
二つ又のフォークを刺して、肉を切りやすくするためのものだったらしい。
もともとは料理を取り分けるための道具だったものが、
ナポリ国王のフェルナンド4世が、宮廷で毎日パスタを
食べるように命じた際に、パスタをそのまま口に運ぶ際には
4つ又のフォークの方が使いやすいということで4つ又の
フォークが誕生したという。
その語源はラテン語で熊手を意味するFURCAだったようで、
その名前とシニフィエがとても一致しているもののようだ。
ところで、我々の手は指が5本ある。
5本の自由に動く指を駆使して様々な器用な使い方ができるように、
4つ又のフォークと5本の手の指の間には
近いようで大きな隔たりがあるのではないか。
おそらく、フォークを5つ又にした瞬間に、
手のメタファーであることを否定できなくなっていく可能性があり、
それは、熊の手と人間の手のあいだにある違いが表面化してくることによって
フォークという名前自体の意味を否定することになるからかもしれない。

フォークの指の数のように、誰が決めたのか分からない秩序というものが
我々のまわりにはたくさんある。
それを少し疑って見てみると、物質的な記号性を超えた
意味の記号性という、より深い面白さが現れてくるのではないか。
2015.06.25







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