下半月型の下に台座がついたような形は、
お茶椀や丼ぶりのようなシルエットになった。
もしここに、白いお米が盛られていたらと思い、
頂点に赤い梅を模した珠を置いてみた。
何故我々は、白いごはんと言えば
梅干しを真っ先にイメージするのだろう。
遡ると、梅干しは中国原産で奈良時代以前には
日本に伝わってきたという説がある。
ただ、梅干しの原型は梅を燻製にしてつくっていた
梅鳥(うばい)と呼ばれるもので、主に下痢止めや解熱の
薬として食べられていたようだ。
現在のような塩漬けにされた梅干しが現れ、
白米を食べる文化が定着したのが平安時代以降なので、
必然的に白米と梅干しを合わせて食べるように
なったのもそれ以降なのだろう。
戦国時代に入ってから、
日持ちもよく、塩分や糖分が補給できるこの組み合わせが、
兵士の栄養源になっていったようだ。
日の丸弁当なども、戦時中の食事に奨励されたこともあり、
白米に梅干しというシンボルに対して、
あまりいい気持ちのしない人がいることは否めない。
この白米と梅干しの組み合わせというのは、
戦後の日の丸の影の部分の影響を
少なからず背負っているのかもしれない。
2015.05.10
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